(2022.7.31更新)
令和元年後期「教育原理」について解説しています。
今回は問4の人物問題です。


問4   人物問題(著書)
問4 次の文の著者として、正しいものを一つ選びなさい。

政府はシュタンツにある尼僧達の使用している建物を私の住居に指定してくれた。しかし、この建物は私が到着した時には、まだ完成していなかったし、また、多数の子供達を収容する孤児院に適するようには作られていなかった。(中略)
この子供達の大部分の入所当時の悲惨な有様というものは、人間の性情を全く無視したための当然の結果であった。(中略)怠惰な不活発さ、精神的素質や肉体的技能の訓練不足、これがどの子供にも見られる一般的な傾向であった。ABCを知っている子どもは十人に一人もいなかった。ましてや、その外の学校教育とか、教育的陶冶方法についてはいうだけ野暮であった。

1 フレーベル(Fröbel, F.W.)
2 トマス・モア(More, T.)
3 ピアジェ(Piaget, J.)
4 エレン・ケイ(Key, E.)
5 ペスタロッチ(Pestalozzi, J.H.)

著書から著者をあてる問題が必ず出題される傾向にあります。
文章内に必ずキーワードが必ずありますので探していきます。
ここではシュタンツ孤児院というキーワードが、ペスタロッチの『シュタンツだより』に結びつきますね。


ペスタロッチはシュタンツ(スイス)に孤児院を開き、そこで実践した教育(道徳教育)について述べたのが、この『シュタンツだより』の内容です。
実際にペスタロッチが友人に宛てた手紙がもとになっており、文章が手紙形式やエッセイ風になっているということも作品のポイントです。

ペスタロッチは著書からの出題が多い

ペスタロッチは著書からの出題が多いことが特徴です。
平成23年 『隠者の夕暮』
人間、玉座に坐っている人も、あばら家に住んでいる人も、同じであるといわれるときの人間、つまり人間の本質、それはいったい何であろうか

平成26年 『シュタンツだより』
私は彼らとともに泣き、彼らとともに笑いました。彼らは世界も忘れ、シュタンツも忘れて、私のもとにおり、私もまた彼らのもとにおりました。彼らのスープは私のスープであり、彼らの飲み物は私の飲み物でした。私には何もなく、所帯もなく友人も召使も誰も私の身のまわりにはいませんでした。私にはただ、子供たちだけがおりました。 彼らが健康なときは、私は彼らの真ん中にいました。彼らが病気のときは、私は彼らのそばにいました。私は夜は一番最後にベットに就き、 朝は一番早く起きました。私はベットのなかでも彼らが寝つくまで彼らとともに祈り、そして教えました。彼らはそうすることを望んだのです。二重感染の危険にさらされながら、私は彼らの着物や身体のほとんどどうしようもない汚れの世話をしてやりました。

平成28年前期 『白鳥の歌』
知的観点においては、基礎陶冶の理念は、その教育原則を「生活が陶冶する」という全く同じ言葉で言うことができる。道徳陶冶が本質的にわれわれ自身の内的直観から、すなわちわれわれの内的本性に生き生きと語りかける諸印象から出発するのと同様に、精神陶冶はわれわれの外的感覚に語りかけ、活気づける対象の直観から出発する。自然はわれわれの感覚の印象全般を、われわれの生活に結びつける。われわれの外的認識すべては、その生活の感覚の印象の結果である。

平成30年神奈川県『隠者の夕暮』
玉座の上にあっても木の葉の屋根の蔭に住まっても同じ人間、その本質からみた人間、一体彼は何であるか。何故に賢者は人類の何ものであるかをわれらに語ってくれないのか。 何故に気高い人たちは人類の何ものであるかを認めないのか。農夫でさえ彼の牝牛を使役 するからにはそれを知っているではないか。牧者も彼の羊の性質を探究するではないか。

令和元年神奈川県 『白鳥の歌』
わたしはここに、あらゆる合自然的な教育の基本的原則、すなわち「生活が陶冶する」という原則をもって、基礎的な陶冶手段が人間陶冶に対して深く関与することを研究しよ うと志しているわれわれの試みの成果を、道徳的・精神的ならびに身体的の点に関して眺めてみよう

このように、『隠者の夕暮』『白鳥の歌』『シュタンツだより』の一部がこれまで出題されています。
他にも『リーンハルトとゲルトルート』『幼児教育書簡』『ゲルトルートはいかにその子らを教えるか』などさまざまな著書があるため、今後はこれらの著書からも出題される可能性があります。
それぞれの著書の内容まで細かく知らなくても、問題文には著書名や教育思想など、何かしら学習したキーワードが含まれているはずですので、キーワードを覚えていく学習が重要です。
以上、問4の問題解説でした。

次回は、問5を見ていきます。