神奈川県令和3年「社会福祉」の解説をしています。

今回は問13です。
問題はこちら




問13 イギリスの救貧の歴史
次の文は、イギリスの救貧の歴史に関する記述である。適切な記述を一つ選びなさい。

1 アダムズ(Addams, J.)は、ロンドンでセツルメント運動を創始した。
2 知識人や裕福な人々などがスラム街などへ入って、貧困者と共に生活をし、人格的接触や交流を通して貧困者の生活改善を目指す運動を慈善組織協会(CharityOrganization Society:COS)という。
3 1834年の新救貧法では、院外救済を原則としていた
4 1834年の新救貧法では、貧民を労働力に応じて分類し、有能貧民、無能貧民、児童という区分に基づいて救済する方法が初めて導入された。
5 1601年のエリザベス救貧法の救済は教区を単位とし、救貧税によって行われた。

問題文に「イギリスの救貧の歴史」と示されていることから、以下のような法律や制度、人物などがイメージできますね。
・1601年「エリザべス救貧法」
・1834年「新救貧法」
・慈善組織協会による慈善組織協会運動(COS運動)
・バーネット夫妻によるセツルメント運動


今回の問題を解くには「エリザべス救貧法」と「新救貧法」の内容の違いを理解しておく必要がありました。
知らない知識はこの機会に覚えたいですね。

1つずつ見ていきます。 

1 アダムズ(Addams, J.)は、ロンドンでセツルメント運動を創始した。

→×
アダムズといえばアメリカですね。
アメリカのシカゴにセツルメントハウス(セツルメントの説明は2をご参照ください)であるハルハウスを設立した人物です。
アダムズはロンドンのトインビーホールを見て、アメリカにも同じような施設をつくることを考え、ハルハウスをシカゴのスラム街に設立しました。

ちなみに令和2年神奈川県試験では、ハルハウスを設立した人物はバーナードかどうかという問題が出題されています。
バーナードはイギリスでバーナードホーム(小舎制の孤児院)を設立した人物です。

社会福祉に出題される人物はこちらの記事にまとめていますのでご確認ください。




2 知識人や裕福な人々などがスラム街などへ入って、貧困者と共に生活をし、人格的接触や交流を通して貧困者の生活改善を目指す運動を慈善組織協会(CharityOrganization Society:COS)という。

→×
慈善組織協会運動(COS)ではなくセツルメント運動の説明ですね。
セツルメント(Settlement)とは英語で、定住や移住という意味があります。
貧困問題を解決するために、民間の人が貧困地域に移り住み、生活改善のための援助を行ったことがセツルメントです。
代表的なものとして、1の解説で紹介したロンドンのトインビーホール、シカゴのハルハウスなどがあります。

また、問題文のCOSとは慈善組織協会運動のことで、これは貧困の原因は個人にあるという考えのもと、貧困者の個別調査を実施したものです。
対象の世帯を個別訪問して調査し(=友愛訪問)、それによって慈善団体が救済を実施するという仕組みです。


3 1834年の新救貧法では、院外救済を原則としていた。
 
→×
院外救済ではなく院内救済ですね。
「新救貧法」の3つの原則はしっかりおさえます。

均一処遇の原則 貧困者への処遇(=対応の仕方)は全国一律にすること。
院内保護の原則 貧困者を施設に収容して労働に従事させたり保護したりして、その施設内で救済が行われること。貧困者を収容する施設のことをワークハウスともいいます。
劣等処遇の原則
 救済の水準は、最低階層の労働条件を上回ってはいけないこと。


4 1834年の新救貧法では、貧民を労働力に応じて分類し、有能貧民、無能貧民、児童という区分に基づいて救済する方法が初めて導入された。

→×
「新救貧法」ではなく、1601年の「エリザベス救貧法」のことです。
これはイギリスではじめて生活困窮者に対する救済を目的として定めた法律です。
貧民を3つにわけて、有能貧民→就労の強制、無能貧民→救貧院(施設)に収容、児童→奉公や養子というように区分しました。
働ける人は働かせ、働けない人は収容するとしたことがポイントです。



5 1601年のエリザベス救貧法の救済は教区を単位とし、救貧税によって行われた。

→◯
正しい内容です。
教区とは地域ごとの行政単位です。
1601年の「エリザベス救貧法」ではそれぞれの地域単位で救済が行われていました。
教区の中の貧困者の世話は、その教区自らで対応するということです。
救済するためにはお金がかかるので、「救貧税」という税金を設けて徴収し、それによって支援が実施されていました。
救貧税は4で説明した無能貧民への救済費や子どもの養育費などに割り振られます。
その後の1834年の「新救貧法」では、全国単一の救済に変わったことをおさえます。


次回は問14を確認します。